看護師、ナースを続けているといろいろな経験、体験をする方が多いと思います。

普通の職業では体験できないようなまさかの体験談や医療現場ならではの体験談、女性の多い職場だから起こる恋愛事情、インバウンドでの外人患者のエピソード、看護師の趣味などを幅広く紹介したいと思います。

 

看護師を目指した動機は?看護師になってみて思う事

看護師になろうと思ったきっかけは人それぞれだと思います。
世間一般では看護師をめざした動機として、母親が看護師だったから。とか子供の頃に入院していて看護師に憧れたとか聞きますが、私の周囲にはそんな人はいません。
実の娘も「看護師は絶対に嫌だ」と言います。血を見るのが怖いという気弱な子ではあるのですけど、一番の理由は私が働いているのを見て「キツそうだと思った」からだとか。娘の前でそんなに情けない姿を見せていたとは。我ながら困ったもんです。
娘が母の仕事に憧れるなんて、なんとも羨ましい限り。憧れの母親になりたかったです。

看護学生時代、同級生に看護師を目指した動機を聞いたところ、とんでもなく高尚な考えがあったり、物凄い熱意を持って入学された方が多くて圧倒された覚えがあります。

私と言えば、勉強嫌い、数学嫌いで理数系は敵、計算は最も避けたい仕事。裁縫など家庭的な事には全く興味なし。座りっぱなしの事務仕事は拷問と同じ。美的センスには自信なし等々いろいろ排除して好きな事を思い起こしてみたら、人の世話やお喋りが好きで人の話を聞くのはもっと好きで。看護師が良いかな?と安易に考えた結果でして。
でも実際に資格を取ってみると看護師は案外使える資格でした。
看護師は他の職種に比べても求人が多くて、年齢を重ねていても働ける職場もありますし。

現在では福祉関係からの求人も多いし、企業、製薬会社等、活躍の場も多くなりましたね。パートの時給も他の職種に比べると高額な方だと思います。
かつて、3Kとか5Kとか言われた時代、看護師もその中に入っていました。
きつい、汚い、危険、給料安い、結婚できない、なんて言われたものですが給料面においては多少は改善されたのしょうか。
看護師の給料は高いなんてよく言われますが、大抵の場合は夜勤手当や危険手当等がそれなりに付くので他の職種より多く見えるだけでは?

看護師はとてもやりがいのある仕事だと思います。居心地の良い職場なら長く働いていたいところですが大きな病院だと異動はつきもので、移動先によってはガラッと環境が変わって自分の居場所を作るまで苦労する私です。
今でも職場環境や人間関係等でスタッフが長く居つかない現場はありますし、そういう現場は常に忙しく、きついからスタッフも辞めて行くといった悪循環に陥っています。

その反面、看護師等、スタッフの為の大切さに気付いて福利厚生に力を入れている病院が増えている事も事実です。
ともあれ、医療ドラマが多く放映される現在、看護師に憧れまではいかないまでも興味を持ってくれる人が増えてくれたら嬉しいと思います。

放射線科の患者さんとの思い出

看護師になって初めて勤めたのは研修先となった都会のある大学病院でした。
そこは循環器内科と放射線科の混合病棟で放射線科の病室は病棟の端にありました。
放射線科の入院患者さまはほとんどが悪性腫瘍の方で放射線治療をされていました。
たまに検査入院などで短期で退院される患者様もいらっしゃいましたが、大半は長期入院の患者様でした。
そんな入院患者様の中に忘れられない患者さまがいらっしゃいました。
そこは女性の6人部屋で、3人の患者さまが横並びのベッドにいらっしゃっていつも楽しげにお話されていました。
「私達、三羽カラスなのよ」とよく冗談を言って笑わせてくださいました。
検査入院などで同室になった患者様からは
「検査が不安で入院が嫌だったんだけど、同室の方がとても楽しい方達でとても良かったです」と喜ばれていました。
3人の口癖は「笑う門には福来る」。
笑いのパワーには免疫力をアップさせる効能があると知ったのは、もう少し後の話になるのですけど。
看護師になったばかりの私には癌患者様にどう対応すれば良いのか、判らない事だらけで放射線科の病室は入るだけでも緊張していたのですけど、このお部屋に入るのだけは楽しみでした。
ある日、いつものように爆笑のうちに検温が終わり、病室を出ようとした時、一番年長の方がふと「私達、能天気に見える?これからの自分を考えたら辛すぎて、こんな風におちゃらけてないとやってられないって事もあるのよ。判ってくれると嬉しいんだけど」
凄くびっくりして胸が痛くなりました。自分は無意識のうちに失礼な事を言って傷つけてしまったのではないかと。彼女は笑って「貴方がどうという話では無いの。気にしないで」
研修期間はあっという間に過ぎて地元に帰る事になったのですが、その後、3人は相次いで亡くなられたと聞いて、不思議な気持ちになりました。
3人が癌患者様という事は知っていましたが、3人のあまりにも明るく楽しげな様子ばかりを見ていたので3人と死が結び付かなかった気がします。
現在では癌患者様も通院治療を受ける事が可能になって、以前のように長期に入院という場面は少なくなったかもしれません。それぞれのお宅で自分らしく最期を迎えられる環境は素晴らしい事ですし、私がそうなったら自宅でできるだけ過ごしたいと思うと思います。
でも、あの時のように患者同志でお互いに支え合える環境も良いところがあったような気もしますし、笑顔を忘れないように頑張っていた彼女たちは凄く強かったと思います。
彼女たちの笑顔は今も心に残っています。

 

高齢者の熱中症

毎年、夏を迎える季節になるとテレビでも盛んに熱中症への注意喚起がされていますが、それでも熱中症患者は増えるばかりです。何故なんでしょう?
原因はいろいろ言われていますが、高齢者が増えた事、地球温暖化、道路の舗装が進んだ事等々あるそうです。
訪問看護で訪れたお宅は高齢者の方のお宅がほとんどだったのですけど、毎年、熱中症の予防には気を使いました。
入るなり、ムッとするような熱気のこもった部屋で重ね着をされていたり、大汗をかきながら「そんなに暑くない」と言い切る方。水分摂取を勧めても「喉は乾いてないです」と自分からは水分を摂ろうとしない方の多い事。

高齢者の熱中症が多い事について考えてみたのですけど、高齢者って暑さや咽の渇きに鈍感になる事に加えて、根拠の無い自信があるという事も大きいのかな?と思います。
実際、高齢者の方が過ごした幼少期や青年期などは現在より、ずっと気温が低くて冷房なんて無くても充分、快適に過ごせる環境でしたから。

自分の子供の頃を思い出してみても、30℃を超える事は滅多になくて、真夏といえど、家じゅうの窓を開け放って打ち水をし、葦津越しに風を感じながら風鈴の音を聞けば充分涼しさを感じられましたし、井戸で冷やしたスイカを頬張れば夏を満喫できました。アイスクリームやかき氷は店で食べるか買ってくるもので、たまにしか食べられなくてもそれで充分でした。エアコンは贅沢品でしたし、隣家の室外機の熱風が室内に入るという事でご近所トラブルもあった時代。人生の大半を自然の風だけで過ごせた経験から、今になって周囲が熱中症について騒ぐのも大袈裟に見えてしまうのでしょう。

でも現在では夏と言えば30℃を超える事は珍しくなく、室内にいても熱中症になってしまう程の凄まじい気候なんですけど、皮膚感覚が鈍くなってそれを感じ取れなくなっているのかなと思います。

高齢者の方に熱中症の危険性を知って頂くには、現在の気温が過去のそれとは全く違うという事を知って頂くのが一番大事かと思ったので、温度計を準備して数値を実際に見て頂いたりして納得して貰いました。水分は喉が渇いていなくても飲むようにして貰いました。「喉が渇いた自覚が出る頃には既に脱水ぎみ」という説もあります。塩分の補給も勧めたのですけど、これはご家族から反対されたりもしました。「日本人は元々塩分を摂りすぎているから摂るのは水分だけで良い」とTVで偉い先生が話していた。そうです。これについては個人差もあるでしょうし、一概に言える事でもないので強制はしていません。

訪問看護では個々のお宅に伺うのですが、お宅によっては室温はまちまちです。大抵は寝たきりの利用者様に合わせて多少暑くても我慢してケアを行うのですが夏期に関しては利用者様の健康面からも積極的に室温調整をしています。

精神病と家族の思い

入院中の患者さまやご家族が民間療法やら信仰に嵌っちゃって協力を求められて困惑した経験ってありませんか?私、結構あるんです。
家族が病気になったら家族は誰しも不安に思うものですよね。それが難しい病気であれば尚更だとは思いますけど。
ご家族が有名な霊水を汲んで来てご本人に飲ませるなんてのは珍しくありませんし、衛生面に問題がなければ特に問題視はしませんでした。民間療法は主治医の許可が出る範囲ならOKという事もあるのですけど、厄介なのが宗教がらみ。こういうのって、特に精神科に入院された患者さまの家族に多かった気がします。まさか「祟り扱い」された訳では無いのでしょうけど。もう随分前の話ですし、宗派も定かでは無いのですが、こんな要望をするご家族がいらっしゃいました。明日の午後何時から何時までの間、祈祷して貰うので、その時間は患者さまにお札を持たせてどこどこの方角に向かって跪かせてください。とか、3日間は水を触らせないでください。とか。ご家族はその宗教を完全に信じていらっしゃるようで、できない事をいくら説明してもなかなか聞き入れて頂けず苦労しました。最終的には主治医から断って貰いました。入院中の患者さまに日常生活指導をする立場でそれを壊すような非日常的な事を特定の患者さまに強制する事はできませんから。
ご家族のお気持ちももちろん判ります。なんでこんな病気になったのか、もう、治らないのか。何が悪かったのかと毎日辛かったと思いますし、藁にもすがる思いだったのだとお察しします。そこに付け込んだのかどうかは判りませんが宗教がらみの人生相談って怖いなと思いました。もちろん、全ての宗教がそうだという話ではありませんが。
ある若い統合失調症の女の子は入院する前に家族からある宗教団体へ入信させられたようで妄想の中に宗教的な言葉が多く聞かれていて彼女の中に宗教が捻じれた状態で存在している事が判りました。そのせいか、私自身は宗教関係の話は嫌いで家の菩提寺以外の宗教関係の話は一切聞かない事に決めています。これも極端なのかもしれませんが。
子供が小さい頃、ママ友から宗教の勧誘を受けた事があって、宗教関係で嫌な思いをしたので、そういうのは聞かない事にしていると答えたら「看護師さんの入信って結構多いのよ」って言われた事がありました。毎日、たくさんの命に向き合っている仕事ですから、宗教に救いを求めるというのもあるのでしょうね。人を救う宗教はたくさんありますが、中には弱者を食い物にしている、宗教とは呼べない物もあったのかもしれません。
弱っている時にはそれを見分けるのも難しいんだろうな。

 

大震災時の看護師の対応

2011年3月11日、、、日本人なら誰もが知っている忘れられない日。大地震が起こり、津波や家事などで多くの方が犠牲になった大変な日です。都内の病院でも例外ではありませんでした。色々なところで支障がでて大変でした。あの日のことを振り返ってみます。

あの日、私は日勤でした。日勤が終わり次第、同期たちと飲みに行く約束をしていて、順調に仕事をこなしていた矢先、、、。あの大地震が起こったのです。最初は、目眩?!と思うようなグラグラした揺れが起こり、次第に突き上げるような大きな揺れになりました。患者さんたちも驚き、パニックが起こりました。
すぐに病院内の放送がかかりました。冷静にその場で待機するよう指示が出ると、私たちは師長の指示のもと、患者さん一人一人の安全を確認しました。幸い停電などは起こらず、医療機器は無事でした。しかし次第に揺れのショックが収まると、院内での被害状況もわかってきました。手術室から帰室する時の廊下がひび割れてしまい通行止めになったり、耐震強度が弱かった建物が立ち入り禁止になったししたのです。平日だったので、手術も行われており、その後の帰室の際は、遠回りして帰ったり大変でした。手術中の先生たちも、手術を途中でやめるわけにはいかないので患者さんを支えたり、電気の確認をしたり大変だったそうです。

交通網も麻痺してしまったので、夜勤看護師がなかなか到着することができません。そのためその時いた日勤メンバーでなんとかつないでいました。中にはその日夜勤明けで朝帰宅した看護師も寮から駆けつけ、夜勤に加わったりしました。
<span style=”color:#000000″>出来る人でなんとか業務をこなし、患者さんの安全を確保していた感じです。</span>連絡を取りたくてもなかなか電話もつながらず、院内寮に住んでいた人などが休みの人でも駆り出されました。日本中のパニックと共に、私たちの病院や病棟でも沢山の人が混乱を記していたのです。

様々な建物に影響が出ていたため、そこから数週間単位で通常業務に支障がでました。物品不足なども起こったので、なるべく無駄のないよう心がけて業務にあたりました。当時、計画されていた歓送迎会などのイベントも全て自粛されました。みんな節電に取り組み、少しでも力になれればと努力していたように思います。患者さんも色々と協力してくださいました。